ゴーストライターの話

 何年か前の話になるが、佐藤優ゴーストライターをやっていたと自称する人に飲み屋で会ったことがある。あまりちゃんと読んだことはないが、多筆な人なのでこういう話も出てくるのだろう。そのゴーストライター氏とは連絡先を交換したわけでもなく、真相は藪の中である。



 このように、それなりに名が知られている人の中には、とくにその人の本業が文筆ではない場合には、「ゴーストライター」なるものがつくことがあるらしい。当人が多忙で書いていられないというのに加えて、すでに名前だけで売れるからだ。いわゆるタレント性というやつである。



 だが、自分が書いてさえいないものが自分の名において刊行され、しばしば本にさえなるというのはどういう気持ちなのだろうか?私は、本や雑誌の記事は言うまでもなくnoteやブログなども、ひとたび公にした以上は筆者はその内容に責任を負うべきだと考えているので、自分が書いてもいない文章が自分の名前で出されるなど、無い責任を押しつけられているようで我慢ならない気がする。



 とはいえ、古典文学では偉人や有名人に仮託して書かれたものも珍しくないわけだし、弾劾されることもない。だから、こういう発想も多分に近代的ではあるのだろう。要するに、それがゴーストライターの書き物だと分かっていればそれでいいのである。それがわからないから困るのだが。